<いちご通信202号より抜粋>
2018年11月17日、札幌市生涯学習センターちえりあにて、
熊本学園大学教授の東俊裕氏に、障がい者の災害対策について講演していただきました。
東 俊裕 氏 生後1歳半で小児麻痺となり、現在車いすにて生活。もともと弁護士及び当事者として障害者運動に関わる。障害者の権利条約を審議したアドホック委員会の日本政府代表団顧問として参加。現在は弁護士及び熊本学園大学社会福祉学部教授に復帰。 熊本地震後、熊本学園大学でインクルーシブな避難所設営に関わるとともに、在宅の被災障害者を支援する被災地障害者センターくまもとを立ち上げ、事務局長を務める。 <主な著書>『障害者の権利条約と日本 概要と展望』(共著、生活書院、2008年) |
災害格差
熊本地震が起きてから、約2年半になります。
今日は、熊本地震の後にも発生した災害も踏まえて、災害が起きた時に障がい者がどういう状況になるのか、どうしたらいいのかをお話します。
災害というと多くの人は自然災害をイメージします。
しかし災害の本質は、実は地域社会で起きる社会現象にあります。
地域社会の在り方によって、同じ災害でも被害状況は変わってくるのです。
さらに、障害のある人は被害の受け方や支援の提供において、障害のない人より悪い状況になるという災害格差がみられます。
熊本地震の際、行政がなすべき障がい者への合理的配慮はほとんど見られませんでした。
こうした災害時の障がい者福祉は、最近ようやく議論され制度が改革されてきています。
法律に基づく防災対策は、3段階あります。
それは、①予防の段階、②発生後の応急処置の段階、③復旧復興の段階です。
この3段階において障がい者はどのような状況に置かれるのでしょうか。
熊本地震は震度7の本震が2回きました。
地震発生直後、避難所には市の人口の1割相当の18万人が集まったそうです。
しかし、ビニールハウスや車中に避難した人もいたため、実際の避難人数はもっと膨大でした。
熊本市の障がい者も当然被災しましたが、避難所には障がい者がほとんどいませんでした。なぜでしょう。
熊本地震の被災者のうち、今でも2万4~5千人が仮設住宅に住んでいます。
また、私が運営する『被災地障害者センターくまもと』には今でも問い合わせの電話が途切れず、被災障がい者への支援活動は続いています。
まず、障がい者が日頃利用している福祉サービスをまとめると、4つのパターンがあります。
①『施設入所をしている障がい者』。
この人たちは災害が起きても施設によって支援を受けられるため、被災者数は最も少ないです。
②『通所している障がい者』。
彼らの場合、いつ災害が起きるかによります。
日中であれば通所施設が避難所となり支援を受けられますが、朝や夜であれば、日中の2倍以上の被害状況になると考えられます。
③『在宅でホームヘルプサービスを受ける障がい者』。
彼らの場合、災害発生時にヘルパーさんがいるかどうかで状況が変わります。
熊本市はヘルパー支給量が少ないため、夜間にヘルパーをつけられない障がい者が大半です。
そんな中、熊本地震は夜間に発生し、多くの障がい者は1人で被災しました。
ある障がい者は地震で床に倒れてしまい、やっとの思いで携帯をつかみ警察に電話したそうです。
しかし電話もかけられない重度の障がい者は、どうしたらよいでしょう。
そして最も支援のニーズが多いのが、④『福祉サービスを受けていない障がい者』です。
その人たちの障害は軽度かといえば、そうでなく重度の人もいます。
熊本市の場合、人口約70万人のうち障がい者は4万2千人おり、そのうち65歳未満で福祉サービスを受けているのは7千人ほどです。
そして何の福祉サービスも受けていない重度障がい者は9千人ほどです。
その人たちは災害のとき、なんのつながりもないため、福祉からの支援も、また一般からの支援も望めません。こういう事実が日頃は見えてきません。
災害支援をやっていると、災害前の日頃の状況が明らかになるのです。
『避難行動要支援者名簿』と『個別支援計画』
災害が起きた時、障がい者はどうなるのでしょうか。
内閣府の防災担当は『避難行動要支援者の避難行動に関する取組指針』というガイドラインを、平成25年8月に作りました。
この指針には、「避難行動要支援者と思われる人たちを登録した名簿を作りなさい」と書いてあります。
この名簿が全国的にできているかというと、できていないところが多いです。
そして、その名簿を作ってどう活用するか、が大事なところです。
ガイドラインでは、「名簿を作り、地域の社会福祉協議会や民生委員の人たちに事前に個人情報を開示して、なにかあったら避難支援をしてもらうように」と書かれています。
そして、要支援者と思われる方宛に市町村から「個人情報を事前に開示しますか?」という通知が送られ、それに本人が同意すると返事を出せば、その人の住所・名前・障害名が地域の民生委員の人たちにわかるような仕組みになっています。
その名簿をもらった社会福祉協議会や民生委員の人たちは、災害が起きたら誰をどこに避難させるかという『個別支援計画』を作ることが望ましいと、ガイドラインには書かれています。
台風が近づいてくるなど事前の避難が可能な場合、3段階の情報が出されます。
最初は①『避難準備情報』。
これは後ろに「高齢者等避難開始」という言葉が続き、「この名簿に書かれている高齢者や障がい者などは避難に手間取るため、前もって避難しましょう」というものです。
次に②『避難勧告』、そして③『避難指示』と、だんだん強いものが出されていきます。
個別支援計画が①『避難準備情報』の段階で活用されれば、いざ避難が必要な時はすでに避難していることになります。
去年の6月1日に消防庁が、この『避難行動要支援者名簿(以下「名簿」)』が全国的にどれくらい出来ているか、という調査をしました。
全国の市町村は約1,730ある中、名簿はほとんどの市町村が作っています。
では次の『個別支援計画』はどうかを見ると、作成済みは679、作成中が436、未作成が516とあり、まだまだ不完全な状況です。
名簿を作っても個別支援計画がなければ役立ちません。
また今年11月になって最新の情報が出ました。
それによると、名簿も個別支援計画も作っている市町村は、たった14%しかありません。
個別支援計画を一部作成は42%、名簿は作っているが個別支援計画は未作成が41%、名簿も個別支援計画も未作成が3%です。
熊本地震以降も、豪雨や地震は日本各地で起こっています。
こんな状態のままでいいはずありません。
障がい者は特に、どこに住んでいるかで自分の命が助かるかが決まる状況です。
地域別に注目すると、宮城県が一番少ないケースで、人口の3%が名簿に登載され、そのうち事前公開の同意者は2.1%です。
多い所はその倍以上で、県民の12%が名簿に載っており、うち9%が事前公開同意者です。しかしこの多さだと、民生委員などの人が1人で何十人を支援しなくてはなりません。
このように、制度だけでいいのかという問題もあります。
そして、ここ札幌市の名簿登録者は11万人近くであり、人口の5.6%です。
しかしそのうち、個別支援計画を作るための事前公開同意者は、
約3千人の0.15%に過ぎないのです。これは他の地域と比べて異常に少ないです。
札幌市に住む障がい者の方たちに聞くと、
「事前公開に同意しますか」という通知がきていないどころか、
この制度を知らない人が多いです。
すべての名簿登録者に聞けば、ある程度の人は同意するはずなのに、なぜ0.15%なのか。
大阪市は名簿登録者が約15万人と多く、登録者全員が事前公開に同意しています。
この結果について、市民の皆さんはしっかり考えるべきだと思います。
知らないでは済まされませんし、行政にまかせておけばいい問題ではありません。
個別支援計画を作らなければ、どうなるか
熊本地震では、この制度は活用できませんでした。
地震が夜に突然きて、民生委員の方たちも自分のことで精いっぱいで、他の人を助ける余裕がありませんでした。
ですが、そもそも熊本市の名簿は各自治体に公開しただけで、
自治会長さんは個別支援計画にサインしただけという状況でした。
これでは、いざ災害が起きても動けるはずがありません。
本当に機能する個別支援計画をどう作ればいいのかを考える必要があります。
2018年、西日本豪雨が起こりました。
倉敷市真備町では51人の方が亡くなりました。
真備町の人口は約2万2千人で、名簿に登録され事前公開に同意していた人は、推定2千2百人ほどでした。
真備町のある倉敷市では、名簿を消防や民生委員や社協などに公開していましたが、個別支援計画はまだ作っていませんでした。
雨が強くなってきて、7月5日の深夜から避難情報・避難勧告・避難指示が出されていきました。
6日の夜中から7日にかけて川の堤防が決壊し始め、そこから約1日かけて水が町内全域へ広がっていったのです。
犠牲になった女性の記録では、7日午前6時には家族と電話で「水は来ていない」と話したそうです。
しかしその日の午後1時には「胸まで水がきている」と話し、そのまま浸水により亡くなりました。
一気に水がきたという状況ではなく、水が来始めてから亡くなるまで、かなりの時間があったのです。
亡くなった方たちは、どういう場所にいたのか。
亡くなった51名のうち、建物内にいた方が43名、建物の1階にいた方が42名です。
その中で、平屋の建物にいたのが21名、2階建ての1階にいたのが21名でした。
そして51名中42名は、『避難行動要支援者名簿』に登載されていました。
浸水がゆっくりと進んでいた中で、どうして2階建ての家にいても1階で亡くなったのか。それは、2階に行けなかったからです。
高齢者といっても、簡単に言えば、自力で2階に上がれない障がい者です。
津波の場合は、障害のあるなし関係なく一気に飲み込みます。
しかし真備町の場合、浸水により亡くなった方のほとんどが障がい者だったということです。
同じ災害が起きても、一番被害を受けるのはもっぱら障がい者なのです。
こうした災害格差が最近ようやく問題視され、制度もできましたが、ほとんど機能していません。
機能しなければ、その町から重度障がい者がいなくなります。
これは真備町だけでなく、全国どこでも起きうることです。
個別支援計画がなければこういう状況になるということを、地域の障がい者団体や当事者、福祉関係者は忘れてはいけません。
行政だけの責任だけではありません。
自分たちの身を守る努力をしていたのかと、地元の団体にも責任が問われます。
亡くなった人の中には、知的障がい者の人で、避難指示が出ても逃げる場所がわからなく、誰からも声をかけられず、2階まで自力で上がれず、浸水被害にあった人もいます。
その人の家は1階の上部まで浸水した跡がありましたが、窓ガラスは割れておらず、近所の車も流されていませんでした。
これは、ゆっくりと水位が上昇していった証拠です。
避難指示が出てから水が来るまで、1時間ほどあったのです。
その間に、支援者や民生委員の人など助けに来て「一緒に逃げましょう」と声をかけておけば、命は助かったかもしれません。
制度がなくても、地域の人と通常の関係を築いていれば、障がい者は助かる可能性が高くなるのです。
避難所の問題
避難所の問題もあります。
障がい者がかろうじて避難所に行けたとしても、障がい者が利用できる避難所はとても少ないです。
なぜかというと、一般の避難所には社会的障壁がたくさんあるからです。
多くの小中学校はバリアフリー化されていません。
段差だらけで障がい者用トイレはありません。
また、障がい者への理解不足によるトラブルも起きます。
避難所にいた発達障害のあるお子さんとそのお母さんが、物資をもらうため列に並ぼうとしました。
しかしお子さんは“おとなしく並ぶ”ことが難しかったため、お母さんだけ並び2人分をもらおうとしました。
すると、配布する看護師から「こういう時は平等ですから、並ばない人の分は渡せません」と言われたそうです。
また、コミュニケーションの問題もあります。
聴覚障害の方は、避難所へ行けたとしても避難情報や物資配布の連絡が聞こえません。
また、知的障害のある人が避難所で不審者と間違えられ、警察に連れていかれるケースもありました。
こういったことが、分離教育を前提とするような普通小中学校をベースとして展開されていくのです。
福祉センターが一般あるいは福祉避難所になった場合は、少しは理解があると思いますが…。
福祉避難所は「二次避難所」と言われ、災害が起きてすぐに入れる場所ではありません。
一般避難所にいる高齢者や障がい者の中から、行政職員が「ここでの避難生活は難しい」と判断した人が福祉避難所へ移送される、という仕組みになっています。
しかしそもそも、一般避難所にいる障がい者は少ないです。
障がい者は自力で避難所へ行くことが難しく、また障がい者に対して排除的であるためです。
そうしたシステム上の問題があります。
また、福祉避難所の実情は厳しいです。
熊本地震の際は、市内170か所の入所施設などが福祉避難所として指定されていましたが、そこは元々の入居者への対応で手いっぱいでした。
1か所あたり10人受け入れられても最大1,700人ですが、熊本市の障がい者は約16,000人なので、1割ほどしか福祉避難所には入れない計算になります。
実際に福祉避難所がピークを迎えたのは、地震から1か月以上経った5月20日、避難者は823人でした。
問題は、1か月以上経ってようやく福祉避難所がピークになったということです。
その頃、一般避難所はもう無くなっていました。
一番支援が必要な災害発生時期の福祉避難所は、ガラガラなのです。
落ち着いてきた時期に、一般避難所を閉鎖するために福祉避難所へ移送されていたのが、現実です。
仮設住宅の問題もあります。
熊本地震の際、建てられた仮設住宅の10軒中1軒にスロープが設置されていました。
しかし、トイレとお風呂の入口は車いすが通れない幅で段差もありました。
室内がバリアフリー化されていなければ、スロープがあっても意味がありません。
仮設住宅として最低限提供される、寝る・排泄する・食事する・入浴する、といった機能のうち、車いすの人だと排泄と入浴ができない設計だったのです。
SOSのビラ
熊本地震の際、障がい者は様々な公的な災害支援から排除されていました。
多くの障がい者は、崩れかけた家の中で1か月ほど誰の支援も受けずに生きていました。
助けに行こうと思い、障がい者の住所がわかる名簿を見せるよう行政に頼んでも断られました。
そこで、SOSのビラを障がい者のいる家4万2千件へ、行政職員に配ってもらいました。
すると障がい者からの電話が殺到し、その中には感謝の電話もあれば、怒りの電話もありました。
ビラがまかれたのは地震から3か月後だったので、「地震直後はなんの助けもなかったのに、なんで今ごろ配るんだ!」というものでした。
どちらの反応からも、障がい者が日頃、地域社会の中で孤立して生活していることがわかります。
災害対策とは、地域社会とのつながりをつくること
分離教育において、一般の普通学級で学んだ子供たちは、障がい児のいない世界で育ちます。
そんな子が、障がい者についての不十分な知識だけで大人になっても、
いざという時には理解不足となり、障がい者は社会から排除されます。
避難訓練は、障がい当事者が参加しなければ実際の災害時に役に立ちません。
また、嫌々やるようなものでなく、楽しみながらおこなえるものだと良いでしょう。
例えば、1泊2日で「コンビニで物を買ってはいけません」「ガスや電気を使ってはいけません」など、サバイバルイベントみたいにすれば、年に一回続けられるかもしれません。
災害支援を続けていると、「地域社会をどう作っていくか」という課題が浮上し、日頃の地域社会とのつながりが、いかに大切かがわかります。
もちろん行政側も、『避難行動要支援者名簿』を作り、地域での個別的な災害時の動きを計画するよう、民生委員などに働きかけるべきだと思います。
それだけでなく障がい者自身も、「いざという時に、どういう人たちがこの地域にいるのか」を伝えるために、
一般の人たちへ身をさらし見える形にして、新たなつながりを作っていくことが大事です。
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