母と離れて過ごす楽しみ
- 札幌いちご会 事務局
- 11月13日
- 読了時間: 6分
宮田 育代 (みやた いくよ)
<いちご通信225号(2025年10月号)より抜粋>
子どもの時の思い出
私は生まれつきの脳性マヒで、北海道札幌市に住んでいます。
生まれ育ったのも札幌で、今年で50歳です。
脳性麻痺は1才半で分かりました。
訓練のため、札幌市東区の「みかほ整肢園」に通いました。
兄弟がいたため兄さんも一緒に通い、その後は、幼稚園、養護学校に行きました。
昔は、障害者手帳を持つ大人は車椅子の支給を受けられました。
でも子どもの場合は寝たきりの子しか車椅子が支給されず、床に座れたり四つん這いで動ける子は、幼児用のバギー(手押しタイプの車椅子)しか支給されませんでした。
バギーだと自分で動かすことができないので、外出するときは母さんの抱っこやおんぶでした。しまいにスーパーのカゴをのせる所に座って買い物しました。
小学校の2年半は病院生活でした。でも病院なので食事の時しか水分をもらえなかったし、トイレに行くからダメでした。
飲み物を飲みたかった。着替えは自分でしても直してくれなかった。背中のシャツぐらい、ズボンに入れてほしかったです。
頑張って訓練して歩けるようになり、自宅に帰りました。
母から離れる時間が楽しかった
中学の時に、あこがれの先生がいました。みんなのアイドルでした。内緒で中学三年生の夏休みにデートをしました。小樽の水族館やレストランや北一硝子を見てきました。
高校は、岩見沢の養護学校で寮生活でした。
けいれんや筋緊張で休みがちになり、頑張っても単位が足りなくて、赤点で、居残り勉強が大変だった。修学旅行が楽しかった思い出です。
時間がかかったけれど、やっと車椅子を申請しました。
高校を卒業後は、小規模作業所で働きながら、自分のことは自分でやっていました。
作業所が休みのとき、自分で昼ご飯を作ったり、遊びに行ったり、飲みに行ったりしました。母が送迎をしてくれました。
だんだんと、けいれんや筋緊張が多くなり動けなくなりました。
作業所をやめて、デイサービスやヘルパーや訪問看護を利用しました。
その後、短期入所も利用でき、母さんが介護を休める時間ができて喜んでいました。
私も、母から離れる時間が楽しかった。
失敗もあったが自由もあった
16年前に母がアルツハイマー型認知症になり、短期入所に行きました。
私は相談員と相談し、母さんと住んでいたアパートで一人暮らしが始まりました。
当時はヘルパー(330時間)、生活介護に週2〜3回、月に3泊4日の短期入所をしていました。
この時は、家の中を四つん這いできたし、ヘルパーと手をつないで歩けました。
ヘルパーの使い方が、わかりませんでした。
失敗したこともありました。
夏の暑い日にデイサービスから帰ってきて職員に自宅の中まで入れてもらい、室温の高い部屋に30~40分間、一人になりました。ヘルパーが来てくれて、やっと窓を開けてもらいました。
暑かった。
一人暮らしして、年1回コンサートへ行くことにしました。
初めて行ったのは、大好きなSMAPでした。最高にうれしかった。
その後、けいれんや筋緊張が続き、共同住宅に行くか、パーソナルアシスタンス制度(以下、PA)で週2回の夜勤を入れるかの選択をしました。
※PA制度・・・重度の障がいがある方に対し、札幌市が介助に要する費用を直接支給し、利用される方が、その範囲内でライフスタイルに合せて介助者と直接契約を結び、自らマネジメントしていく制度。
私は、PA制度を利用して一人暮らしを続けました。
そのあと日中もヘルパーを減らしてPAにしました。
そうしたら、週5回夜勤に入ってもらえました。
PAは金額支給です。ヘルパーの面接も自分で行い、金額も自分で決めます。
ヘルパー1時間分2400円がPA費になり、1時間1200円にしたら2時間使えます。
12年前頃からPA制度と重度訪問介護を合わせて450時間のヘルパー支給になりました。
11年前、夕食に2時間かかって胃ろうになりました。でも食べられる物は食べていました。PAは胃ろうができないので、日中もヘルパーを入れました。
7年前にお母さんが亡くなり、毎日がさみしいです。
痰が多くなり鼻から吸引するようになり、その後、持続吸引になりました。
5年前に、いきなり左足や手が動かなくなり、びっくりしました。
手は治りましたが、足が動かなくなりました。足がだめで立てなくなりました。

カウンセラーの資格をとった
2年半前から嘔吐が多くなり、2年前にポート(中心静脈カテーテル)を皮膚の下に埋め込みました。
ポートで点滴するようになったことで時間ができたので、ユーキャンの在宅でできる資格講座にチャレンジしました。
私はカウンセラーの資格をとりました。
3冊ある問題つきの教科書をヘルパーさんに少しずつ読んでもらい、問題の答えの番号を書いてもらいました。
それが終わってから資格試験があり、合格しました。
今年の春から無呼吸の検査を3回もしました。夏から無呼吸CPAPになりました。
重度訪問介護の時間数が増えそうです。まだわかりません。
今の私は、医療ケアがたくさんあります。
胃ろうと吸引と持続吸引と吸入とCPAPが毎日あります。
けいれんと筋緊張があったり、嘔吐したら胃ろうができないので、2年前からポートで点滴しています。
医療ケアが多くなり、ヘルパー時間も足りないけど、一人暮らししています。
グループホームの入居を考えたこともありました。
新しくできるグループホームが、医療的ケアも受けられるところだと聞いて、申込をして見学も行きました。
でも看護師さんが集まらなくて、入居できるのは知的障害のある人だけになってしまい、私は入居できなくなりました。
今の楽しみは外出です。
冬季間は月に1〜2回、介護タクシーやヘルパー事業所の車でしか外出できません。
介護タクシーの介助料は片道700円から1000円や1500円になりました。
その他にメーター料金もかかってしまいます。
春から秋は、今、来たヘルパーと相談して車椅子で散歩や買い物に行ったり、地下鉄で映画や大通や、いろんな所に出かけます。
持続吸引をつけて、車椅子に吸引器と発電器と昼の栄養セットを積んで出かけます。

家で趣味を楽しむためには・・・
このあいだ、サッポロファクトリーの映画館に行ったら、
小さな映画館で、入り口の階段をスタッフ4人で上げてくれました。
札幌祭りも13年ぶりに行きました。
タクシーは電話やLINEで、あらかじめ予約です。
地下鉄は、その日に決めてヘルパーの終わる時間に合わせて、やることや出かける時間や帰宅時間を決めて楽しみます。
今の楽しみです。
自宅の楽しみは、テレビ、スイッチ、おりがみ、ダイヤモンドビーズ、シール貼りです。
けいれんや筋緊張があったら辛いので、リハビリーさんにお願いして、足のコロコロと足の裏押しで、筋緊張が落ちる運動をしています。
私が今、利用しているサービスは、
重度訪問介助400時間、PA50時間の金額12万円で約95時間、訪問看護が週3回、訪問リハビリー週3回、訪問入浴週2回、紙オムツ支給です。
あと生活保護で紙オムツ代、通院や入院のタクシー代、他人介助料は月105,300円で81時間です。
時にはレスパイト入院もします。
毎日元気に過ごしたいと思っています。
この続きはまた書きます。



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