< いちご通信215号(2022年6月号)より抜粋 >
2021年9月4日
NPO法人札幌いちご会主催のZOOM講演会「見えない差別を知る」を開催しました。講師は、参議院議員で自身も重度障がい者である木村英子氏にお願いしました。
NPO法人札幌いちご会のHPにて、
この講演会の動画を掲載しております。
是非併せてご覧ください。
こんにちは。
今回は「見えない差別を知る」というテーマですが、まずは私の生い立ちと国会議員になるまでをお話します。
木村英子さんの生い立ち 国会議員になるまで |
1965年5月11日生まれ
生後8ヶ月の時、歩行器ごと玄関から落ち、障がいを負う。
幼少期から養護学校卒業まで
物心ついた頃から、障がい児の入所施設と養護学校で育つ。
障がいを治す手術を受けるたびに歩けなくなっていき、小学5年生になる頃、車いすを利用するようになる。施設では看護師から嫌がらせや虐待をうけるなど、生活の全てを管理された辛い生活を送る。
卒業前に入所施設の実習をうけ、「ここで死ぬまで生活するなんて耐えられない」と思い、卒業後に家出をする。
19歳(1984年)
自立生活運動をおこなっている三井絹子さんのところへ飛び込む。
地域で自立生活をしていた障がい者団体「かたつむりの会」に加わり、東京都国立市で自立生活を始める。毎日、街頭や大学で介護ボランティア募集のビラをまき、介助者を探す。
長年の施設生活により、自分で決めて行動することができなくなっていたことに愕然とする。幼い頃から分けられてきた弊害だと痛感する。
当時、介護保障が少なく国のヘルパー制度は1回3時間を週2回しか受けられなかった。介護者が見つからない時は、道行く人に介助を手伝ってもらったり、毎日市役所へ行って職員にトイレを手伝ってもらったりした。障がい者の生きる権利を勝ち取るために、仲間と共に行政に対し介護保障運動をおこなう。
24歳(1989年)
結婚。妊娠、出産。
出産の時、腰痛麻酔から全身麻酔に急遽切り替え一時呼吸困難になるなど壮絶な体験をする。また産後の入院中、看護師から差別的な言葉をかけられたり、夜間授乳を頼んでも介助を面倒に思われ拒否されるなど、苦痛な思いをする。
1994年
多摩市で自立ステーションつばさを立ち上げる。
全国公的介護保障要求者組合の書記長としての活動もおこなう。
2019年
れいわ新撰組の代表である山本太郎氏から「一緒に政治をやりませんか?」と誘われ、参議院議員選挙に出馬し、7月21日に当選。
国会議員になった動機
重度障がい者が地域で生きるには運動し続けなければいけない現状の中で、私は50歳を過ぎ、病気になるほど嫌いだった運動がやっと身についてきたかなと思っていた頃に、山本太郎さんと出会いました。
私は、重度障がい者が地域で生きるには障がい者運動をしなければいけないと自覚してから、死ぬまで地域で運動を続けていこうと思っていました。先人達が命がけでつくった介護保障である「重度訪問介護」の制度を壊されないよう守り、重度障がい者がその制度を使って施設や親元から離れ、自分が望む生活を地域で実現できるように活動してきました。そんな中、山本太郎さんから突然「私には障がい者のことはわからない。だから当事者である木村さんが国会に行って変えてほしい。一緒に政治をやりませんか?」と誘われました。
私は今まで、仲間と共に障がい者運動をしてきました。行政に詰め寄り、厳しい現状と共に怒りや悲しみを訴えてきましたが、改善は少なく打ちのめされることが多くありました。そんな中で選挙に出馬することを断ったら、障がい者の未来はどうなってしまうだろうと考えました。一緒に運動をやってきた仲間が次々と亡くなっていく中、まだ施設にいる多くの障がい者の存在や、障がい者政策や福祉がどんどん切り崩されている現状を、誰かが変えなければいけない。重度障がい者の人が政治に参加しなければ、障がい者の未来はずっと変わらないと思っていました。
しかし「それが私でいいのか」「私の体力で国会議員の仕事を続けられるのか」と自問自答していました。議員になり多くの障がい者の怒り・悲しみ・希望を背負う覚悟が、ギリギリまで出来ませんでした。選挙に出ることはとても怖かったです。施設と養護学校という閉ざされた世界で生きてきた私が、19歳で自立生活を始めてから37年が経ち、差別と戦いやっと社会に慣れてきたのに、政治家になるなんて、新たな戦場へ行くような恐怖を感じていました。しかし出馬を断ることで、政治の場に障がい者の声を届けるチャンスを失うことが、私には一番怖かったです。清水の舞台から飛び降りる気持ちで、参議院議員選挙に出馬し、2019年7月21日に当選しました。
国会での活動
国会議員になってから、2021年で2年が過ぎました。この2年間、国土交通委員会などに所属し、23回質疑に立ちました。その中からいくつかご紹介します。
新幹線の車椅子スペース
1両編成に車椅子スペースが2席しかなく、また予約が取れないなどの問題を提起しまし た。2021年3月にバリアフリー法の設計標準が改訂され、4月中旬から車椅子スペース を6席設置した新幹線が走り始めました。
車椅子用トイレの設計標準
これまでの車椅子用トイレの設計標準では、リクライニングが必要な電動車椅子や大型車椅子では利用しづらいものでした。これらに対応できる広いスペースのトイレになるよう、バリアフリー法の建築設計標準の改訂を要求しました。昨年立ち上がった当事者参画の検討会を経て、2021年3月に設計標準が改訂され、床面積2千㎡以上の建築物には直径180㎝以上の回転スペースを確保することが盛り込まれました。
また、トイレの機能分散が推奨され、名称も「多目的トイレ」でなく「車椅子対応トイレ」のように対象者がわかりやすくなるよう、設計標準が改訂されました。
「高齢者、障害者等の円滑な移動等に配慮した建築設計標準」を改正しました
(国土交通省HP)
マンホールトイレの導入
災害関連死の大きな要因の一つである、障がい者が避難所のトイレを使えない問題について。段差がなく広い空間が確保でき、障がい者や高齢者でも使いやすいマンホールトイレの導入を、国土交通省に対し訴えてきました。2020年10月、国交省と内閣府が各自治体へ、マンホールトイレの導入を検討するよう通知を出しました。
車いす用駐車場の設計標準
ショッピングモール等の屋内駐車場には高さ制限2.1mがあり、それ以上の車高がある車両では駐車できません。福祉車両によっては車高が2.1m以上あるものもあるため、困っている障がい者の方が多くいました。この問題を委員会質疑にて取り上げ設計標準が改訂され、高さ2.3m以上を確保することや、高さ確保ができない場合は他に駐車スペースを用意するなど、柔軟な対応をすることが盛り込まれました。
そのほか、ドローンを障がい者雇用につなげる質問、車いすのまま乗れる飛行機の導入についての質問をしました。過去には、視覚障がい者の方が事故にあった駅の視察や、UDタクシーの試乗もおこないました。
(後編は近日中に掲載予定です)
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