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  • 札幌いちご会 事務局

講演会 見えない差別を知る (後編)


< いちご通信217号(2023年2月号)より抜粋 >



2021年9月4日、NPO法人札幌いちご会主催のZOOM講演会「見えない差別を知る」を開催しました。講師は、参議院議員で自身も重度障がい者である木村英子氏にお願いしました。

後編として、講演会の後半の内容を掲載いたします。


前編この講演会の動画も是非、併せてご覧ください。






コロナに感染した経緯、入院時の介護者派遣の問題


2021年2月、私は新型コロナウィルスに感染しました。感染経路は不明です。かるい咳・だるさ・発熱の症状があり病院で検査を受けたところ、コロナ陽性の結果が出ました。

当時は薬もワクチンも無く、重度障がい者である私の場合は重症化リスクが高いためとても不安になり、療養中の介護体制をどうするかということを考えました。


もし入院することになった場合、命を保つためには介助者の付き添いが不可欠であり、医療機関にそのことを認めてもらう必要がありました。これまで入院する際は、市役所と病院に障がいの状況・介護者の必要性について説明した上で、介護者の派遣を認めてもらっていました。厚労省も制度上では、入院時の介護者派遣を認めています。しかしコロナ禍において、実際に入院時の介護者派遣を認める医療機関はほとんどなく、通院でさえも障がい者にとって厳しい状況になっています。


私の場合も、保健所から「難しい」と言われましたが、「介護者がいないと入院できません」と告げると、「突然急変しては大変なので、介護者を付けられる病院を探します」と言われ、翌日に病院が見つかりました。自分で交渉すると何時間もかかるのに、保健所の迅速で手厚い対応に拍子抜けしました。


入院するか悩んでいた時、知的障害のある友人もコロナで緊急入院をしました。その友人が介護者の付き添いを病院へお願いしたところ、「そもそも当院は知的障がい者の方を受け入れるところではないです」と言われ、友人は39度以上の発熱と肺炎があるにもかかわらず強制的に退院させられました。私は手厚い対応をしてくれた保健所と市役所に電話をかけ、その友人を入院させてもらえないか交渉しましたが「受け入れる病院が見つからない」と断られました。結果、友人は自宅療養しました。


私の時は入院時の介護者派遣が認められ、知的障がい者の友人は認められなかったことに怒りがこみ上げました。そうした怒りと、自分だけ入院することの罪悪感、病院の設備に不安があること、介護者と2週間も缶詰になるリスクなどを考慮し、私は自宅療養を決意しました。




自宅療養する上で、介護者の感染リスクを最小限にするため対策を徹底しました。


濃厚接触者となった介護者は3名でした。リスクを下げるため、始めはそのうち1名に介護に入ってもらいましたが、2~3日で介護者の疲労は激しくなり無理だと判断し、2名体制に変更しました。それ以降は2名で日中と夜間に交代し、私の介助に入ってくれました。


療養中、介護者には医療従事者と同じ防護体制をとってもらいました。ガウン・ヘアキャップ・マスク・フェイスシールド・手袋を着用。常に部屋の換気をおこない、部屋中を1日数回アルコール消毒し、介護で私の体に触れる前と後に手指消毒するよう徹底しました。


体調管理は1日数回、体温・血圧・パルスオキシメーターで血中酸素飽和度を測定し、咳の状態に注意していました。酸素飽和度が95以下になったら、すぐ病院へ行こうと考えていました。体力維持のため、水分補給と食事をこまめにおこないました。


38度以上の発熱が3日ほど続いた後、36~37度の微熱になりました。14日間の保健所の観察が終わる当日にようやく36度の平熱に下がり、観察期間は終わりました。感染から1ヶ月半後に国会活動を再開しましたが、後遺症(めまい・倦怠感・脱毛)は3ヶ月ほど続き、完全に回復したのは6月に入る頃でした。


コロナ禍において、障がい者の方が入院する際に介護者付き添いを断られる事例が増えています。そのため自宅療養せざるを得なく、自宅で亡くなってしまった重度障がい者の方もいました。介護が必要な障がい者にとって、病気で入院するといった緊急事態にこそ、介護者が常に付き添う必要があり、そうしなければ命に関わります。普段から私を介護してくれる方達は何年もかけて私の介護方法を覚えたので、看護師が代行することはできません。医療と介護の2つがそろっていなければ、障がい者は安心して入院することができないのです。


障がい者の方が病院から入院を断られる事例が多発していたことを受け、厚労省は今年9月に「障がい者の入院時における介護者派遣」について各自治体へ改めて通知を出し、今回は医療機関の団体にも周知されました。それでも入院できないという相談が多く寄せられる中、私は各自治体の市議会議員と連携し、介護者の付き添いが認められるように様々な方向から働きかけをおこなっています。




介護者不足の問題


平時においても介護者不足は深刻です。特にコロナ禍においては、感染を恐れて派遣が打ち切られる事態も発生しています。そうした人手不足の現状に対し、資格のない人も介護に入られるよう厚労省に要望しました。そして2020年4月に厚労省から「コロナ禍の一時的な措置として、介護のボランティア経験があれば資格がなくても介護に関わることが可能」という事務連絡が各自治体に通知されました。




重度訪問介護の歴史

今後もっとも力を入れていきたいこと


障がい者は施設にいることが当たり前とされてきた1970年代初め、施設での虐待や非人間的な扱いに抗議した障がい者たちが、都庁前にて命がけで座り込み、地域で生きるための介護保障運動をおこしたことから始まります。地域で生きるための介護保障運動をおこす。


地域へ出てきた障がい者たちが、行政に対し介護保障を要求する訴訟をおこない、1974年に「重度脳性まひ者介護人派遣事業」が発足。最初は月に数回だった派遣回数が、度重なる交渉により1990年代には月31日となり、その後、東京都の単独事業から国の制度となり、時代と共に制度が変わっていき、現在の「重度訪問介護」制度となっています。この制度は、障がい者の自立と社会参加を目的として作られ、重度障がい者が地域生活をするために無くてはならない重要なものです。


このように1970年代から障がい者運動が始まり、障がい者の完全参加と平等を掲げた1981年の「国際障害者年」、2014年「障がい者権利条約」の批准、2016年には「障がい者差別解消法」が施行され、障がい者の自立と社会参加が叫ばれてきました。しかし現在においても、就労・就学・余暇活動などの社会参加に介護者を付けることは認められていません。


重度訪問介護の内容は、食事・入浴・排泄・近場への外出といったADL(日常生活)を中心としており、告示523号に書かれた「通勤、営業活動等の経済活動に係る外出、通年かつ長期にわたる外出、および社会通念上適当でない外出を除く」という条文により、就労・就学・余暇活動などの社会参加に必要な介助は認められていません。障がい者にとって、あらゆる場面で介護保障をされなければ、健常者と同等の権利保障とは言えないと思います。


日常生活・就労・就学・余暇活動と、場面ごとに違う制度を利用する現在の状況では、障がい者は自分の生活をパッチワークのように組み立てなければならず、生活に支障をきたしている人がたくさんいます。


障がい者が働く・学ぶ権利は認められていますが、告示523号では「就労・就学中の介護を認めない」という条文になっています。しかしトイレや食事などは、場面問わず生命維持にはかかせない行為です。介護が必要な障がい者だからといって、就労・就学中のトイレ・食事を制限されることは、障がい者の人権を侵害していると思います。


2019年に私が議員になり、国会に登院できない問題が起こったとき、重度訪問介護の制度では経済活動が認められていないことが明らかになりました。介護が必要な多くの障がい者たちが、今まで働きたくても重度訪問介護では告示523号の制限によって介護を使って働くことができなかった現状に、一石を投じた出来事となりました。しかし議員になって2年、様々な活動をおこないながらも、厚労省に対して、重度訪問介護の制度において就労・就学などの余暇活動を認めるように、告示の改正を含め要求してきましたが、未だに認められない現状です。


この問題を解決していくためには、与党も野党も含めた多くの議員に、重度訪問介護の必要性を理解していただき、政府に告示を変更させることや、法律の改正案の提出に賛同してもらう必要がありますが、なかなか難しい現状です。しかし就労・就学は誰もが社会生活をおこなう上で必要な当たり前の権利です。介護が必要な障がい者だからといって、その権利を国が縛ることはあってはならないことですし、明らかな差別だと思います。告示523号があるかぎり制限した外出しか許されず、健常者と同じ社会参加の権利を保障されることはありません。


重度訪問介護は、介護が必要な重度障がい者にとって、地域で生きていくための介護保障制度なのです。この制度を、あらゆる場面の社会参加に利用できる制度として実現できるように、国会議員としての残りの任期の中で取り組んでいきたいと思っています。




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