居宅介護から重度訪問介護への切り替え
~札幌市重度障がい者通勤助成支給決定へ~
執筆者:永島勝章(ながしま かつあき)
< いちご通信217号(2023年2月号)より抜粋 >
何もない家ではじめての一人暮らし
足のやけどで入院中に「あと3日で新居に行けるかな」と喜んでいると、妻からまさかのラインがきた。「家族3人がコロナにかかったから、元の家で過ごしていて」というものだった。
無事に退院をして家に帰ると、唯一残ってあったのは布団一式とバケツ1つだった。とりあえず買い物に行き、サバ缶やカップ麺など必要な物を買って明日からの仕事に備えた。平日はシャワーを浴びて早々に家を出て、朝食はファーストフードですまして職場へ向かう。
仕事が終わって家に帰ると、部屋が真っ暗で誰もいなく、いつもなら「疲れているのにうるさいな」と思える子どもの声すら懐かしく思えた。
休日は朝からやることが無く、ラジオを聞きながら床磨きをしていたら「やっぱり障害を持っていても家族を持てて良かったな」とひしひしと身を持って感じた。

引っ越し先からのバス通勤
家族全員がコロナを完治させて、新居に移ったのは3週間後だった。
新居からの通勤のために、始めの何日間はグーグルマップとにらめっこをし、何時頃のバスでどこまで行けば都合が良いのかシミュレーションをしていた。以前バス通勤をしていたように、乗らない日だけ電話をかけるパターンで行き帰りの時間を固定しようと策略をしてバス会社に掛け合った。しかし「毎回、前の日に予約を入れてください」と寸座に断言された。その日から毎日、明日のバスの予約の電話をするはめになり、たまに予約を忘れバスに乗ろうとすると「お客さん予約していないでしょ」と言われて乗せてくれなかった。時には乗る時に時間がかかってしまって「他のお客さんにも迷惑をかけているのか」と思うと、だんだんと心が疲れてきていた。
雪が降る前までには何とかしなくてはと思い、地下鉄まで電動車いすで走りながら策をねっていた。以前、Facebookで『10月から重度訪問介護サービスを受けている方が通勤で使える制度がスタートする』とチラッと見かけ、チェックはしていたけれどもじっくりと調べる気にはならなかった。
重度訪問介護に切り替え、札幌市重度障がい者通勤助成支給決定へ
色々と落ち着き始めた8月下旬、重い腰を上げて「3か月で道すじをつけるぞ」と腹を決め、区内で一番大きいと思われる相談支援事業所を見つけだし、わらにもすがる思いで抜き打ちで伺った。
相談員さんに、自分には4人の子供がいることや、現在の通勤方法は家から最寄りのバス停まで自走しバス通勤をしていることなど説明をした。そして10月から重度訪問介護を受けている方が就労中にヘルパーさんを使える制度が始まることを伝えて、この制度が利用できれば家から最寄りのバス停あるいは地下鉄駅までの通勤で、ヘルパーさんに付き添ってもらうことが可能になると説明をした。
現時点で進めてほしいことは、今受けている「移動介護・身体介護・家事援助」のサービスから「重度訪問介護」に切り替えること、それと同時に通勤時に付き添ってくれるヘルパー事業所を見つけてほしいと相談をした。すると相談員さんはあ然とした感じで「永島さん、この案件難解過ぎますって」と言った。その日は話を聞いてもらっただけにして、後日相談室と契約を交わすことにした。
しかし、早めに相談室に行き契約をしようと思った矢先に、今度は自分が新型コロナウィルスに感染してしまった。
「まっ、2週間の療養だからその間に制度の事をいろいろ調べて、電話でやりとりをしよう」と思っていだが、毎日アツアツのラーメンをストローで一気に飲み干したような感覚が全身にあり、それと同時に倦怠感がずっと続いた。
ただでさえ身体の動きが悪いのに、下痢と吐き気が急に一気に突然やってきた。そのたびにベッドからトイレへ往復するのは最悪に感じるぐらいに辛く「この辛さずっと続くのか?」と不安であった。しかし突然、自覚症状が何もなかったようにパッと消えて2度と過ごしたくない2週間が幕を引いた。
札幌市重度障がい者等就労支援事業
久々の職場で仕事のかたわら、10月から始まる制度の詳細をネットで調べるが中々出てこなかった。1週間かけて見つけたのが「重度訪問介護サービス利用者等通勤援助助成金」だった。
早速、相談室に伺い、相談室との契約を交わした。そして相談員に「重度訪問介護サービス利用者等通勤援助助成金」の資料を見てもらうと「永島さんこれいけるわ」と言ってもらえた。この日のうちに重度訪問介護の書類を作成し、その足で区役所に行き面談となって、数日後に重度訪問介護の決定通知書が届いてひとまずホッとした。
通勤支援を受ける上でJEED(高齢障害者雇用支援機構)という助成金申請が必要なことがわかった。「自分では手に負えないな」と思って、一旦、職場の事業所本部にお願いをして調べてもらうことにした。
要項を調べていくとわかりづらく「就労支援A型・B型事業所」は使えないと書いてあったので、果たして札幌市独自の制度「協働事業所制度」活用したうちの職場は大丈夫なのか?と、落ち着かない日々が数日間続いた。
そうしたところ、本部の方が直接市役所に尋ねてくれて「札幌市重度障がい者等就労支援事業」という制度であれば助成金申請がなくても使えることと、自分が働いている所でも使えることが確定して安堵した。
本部の方と「札幌市重度障がい者等就労支援事業」の申請書類を作成し、市役所の方から何度か修正が入った後に市役所へ提出し、2週間ぐらいかかると思っていたのだが3日で決定通知書が届いた。
その数日後、運良く相談員さんに利用者さんを探していたヘルパー事業所とマッチングさせていただいた。現在は朝の身支度から入っていただいて、玄関から抱えていただき車椅子に乗って、雪道の中を介助していただいて最寄りの交通機関まで付き添ってもらっている。帰宅後は自分の部屋の片付けや着替え等を手伝ってもらっている。
あまりヘルパーさんにやっていただくと身体が動かなくなるのと、やってもらうのが当たり前にならないように、今回半年にかけて動き続けてきたことを忘れないようにしたい。そして日々、家族と、本当に困っていた時に巡り合えたヘルパーさん、そして関わっている人たちに感謝の思いで、また1年過ごしていきたい。
永島 勝章(ながしま かつあき)
1976年生まれ。脳性まひ。奥さんと4人の子供の6人家族。
共同事業所「もじや」(http://www.npolife.net/)に勤務。
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